二十世紀は、物理学の革命的な時代を象徴しています。ニュートン以来、約二百年にわたって、少しずつ進歩を重ねてきた物理学は、十九世紀末に至って大きな壁に直面し、ついに進路を変更せざるを得なくなりました。分子や原子についての研究は、従来の方法では対応できなくなったのです。最初にぶつかった壁は放射に関する法則でした。波長が短くなるにつれてエネルギーが極端に集中してしまう、という結果を古典的理論は導き出しましたが、実験ではそのような結果は得られませんでした。この意外な問題を克服する手段として、ドイツのプランクは、放射は量子(エネルギーのかたまり)として発生するものと仮定しました。そして彼が操舵した方向は、幸いにも実験と一致しました。1900年に発表されたこの論文は画期的であり、放射エネルギーの量子は「振動数に一定の定数をかけたもの」で表されると述べられました。この定数は、以後、あらゆる関連現象の研究に使われ、驚くほどの成果を生み出しました。そしてこの定数は「プランク定数」と呼ばれるようになります。この定数の物理的な意味を突き止めようと、学者たちは大いに苦心しました。アインシュタインも、相対性原理の中に含まれているのではないかと考え、長年これを研究しましたが、結局その正体はつかめなかったようです。失敗の過程はあまり公開されないため、彼がどのような道をたどったのかは分かりませんが、この定数の明確な意味を見つけることができれば、きっと大発見となるでしょう。放射エネルギーが量子的であるという議論が発表されたとき、激しい議論が巻き起こりました。多くの現象は連続的であるのに、放射だけが「とびとび」になるというのは突飛すぎる、と保守的な学者たちは非難しました。しかし別の観点から見ると、それが全く根拠のない空想ではないことがわかります。たとえば、電子の存在はすでに明らかでした。アルファ粒子の電荷は電子の2倍の正電荷を持ち、その質量は水素原子の4倍です。さらに、すべての化学元素の原子質量は水素原子の倍数であることも、後に明らかになりました。ただし、塩素のように35.5倍という中途半端な値の元素もあり、当時は疑問視されていました。よく測定してみると、塩素原子核には、水素の35倍のものと37倍のものが混ざっていて、平均すると35.5になるような比率で存在していることがわかりました。このようなものは「同位元素(アイソトープ)」と名付けられました。このような同位元素は、化学元素の中でも大部分を占めています。たとえば水銀は、6種類の同位元素の混合体です。つまり、元素は水素原子を単位として、その倍数の質量を持っています。そうであれば、元素から成る物質もまた、量子的な構造を持っているはずです。同位元素の研究は現在も進行中です。同位元素間にはわずかな物理的な違いはあるものの、化学的な性質には変化がありません。もし放射エネルギーがこのようなものであるなら、量子という概念で捉えることも難しくないのです。ましてや相対性理論は、エネルギーに質量があることを示しているのですから、放射量子の理解も自然です。現に、光を粒子として扱っても差し支えないという考え方が出てきており、これはニュートン時代の「光微粒子説」の一部を復活させるものです。逆に、最近では「電子が放射に変化する」とまで論じる学者もいます。人は考え方が常識と異なると、つい反発したくなるものですが、プランクの型破りな思索によって、放射の謎を解明することができたのです。これが量子論の始まりでした。日常的な感覚からすれば、物質が量子でできていると考える方が理解しやすいです。また、電荷も「電気量子」の倍数であるということも納得しやすいことです。その頃、次第にはっきりしてきたことがあります。それは、原子が「正の電荷を持つ原子核」と「負の電荷を持つ複数の電子」から構成されていて、正負がつり合っている状態が通常である、ということです。しかし原子そのものの内部構造は、どのような仕組みになっているのか、よくわかっていませんでした。仮に原子を商店にたとえるなら、二十世紀初め頃までは、店の外からショーウィンドウの商品や飾りを眺めていただけに過ぎません。量子論が登場してからは、内部の様子を大胆に探るようになりました。すると、店先に並んでいる商品(電子)は見えるようになりましたが、電子がどんなものであるかは、いまだにはっきりしていません。ただし、負の電気を持っていることだけは確かです。一時は球状であると考えられていたこともありましたが、それが正しいとも限りません。また、電離状態になると電子は店の外に飛び出します。通常の状態では、店(原子)内の電子の数は決まっています。化学反応とは、この電子が他の店の電子と関係することで起こりますが、その関係の仕方はそれぞれ異なります。このように、店の様子はある程度観察されるようになりましたが、次に注目すべきは、店の中央にある「金庫(原子核)」の中身です。調べていくと、原子核は水素原子、アルファ粒子、電子の組み合わせで成り立っていることがわかってきました。中身の詳細な構造は不明ですが、水素原子を単位に測れば、その質量はおおよそ推定でき、そこに含まれている電子の数や、金庫の外に対応する電子の数も分かってきました。こうして、元素は水素を基準に1ずつ増えていき、全部で92種類あることが分かりました。この順序は、電子の単位数、つまり原子核の電荷数で決まります。金庫の中身は非常に重要ですが、まだ誰もその蓋を開けて調べたことはありません。特別な「鍵」がなければ中を見ることはできないでしょう。私たちは、水素原子核や電子がどのように配列されているのかを知りたいのです。ラザフォードは、高速のアルファ粒子を弾として金庫破りを試みましたが、軽い元素からは水素原子が出てきたものの、重い元素の核はまったく壊れませんでした。いつの日か、原子核の中をのぞくことができるようになれば、世界のあり方は大きく変わるに違いありません。原子核の中身がまだ不明であるとしても、その周囲の電子はどうなのかといえば、これらは明確に順序づけられており、簡単には変わりません。原子核に近い電子と、店先(外側)に近い電子があり、エネルギーの高い電子が低いエネルギー状態へ移るときに光が放たれます。各元素に特有のスペクトル(光の波長パターン)があるのは、この電子の配置が元素ごとに異なることの証拠です。したがって、電子の配置を詳しく知るには、光を分析する必要があります。分光学によってこの調査はすでに行われていましたが、その意味が分かっていなかったため、一定の法則のもとで体系化されてはいませんでした。この材料を活用する先鞭をつけたのは、デンマークのボーアでした。彼は水素原子のスペクトルを見事に説明しました。彼の説では、電子は惑星が太陽の周りを回るように原子核の周囲を軌道で回っており、光を発するときには軌道が変わるとされました。そして光の波長は、電子のエネルギー変化によって決まるというものでした。この説は当初、激しい批判を受けましたが、次第に実験によって証明されるようになり、学界ではこの説に基づいた研究が主流となりました。1913年から1925年までの12年間は、「ボーアの時代」と呼ばれ、原子内の電子について多くのことが明らかにされました。しかし、研究が進むにつれて、ある元素が放つ光は、どれだけ正確に実験し計算しても、ボーアの軌道理論では説明できないことが分かってきました。さらに、光の強さや偏光などについても、何も説明できないという欠点があったため、理論の修正が必要となったのです。量子論で最も説明が難しかったのが、「干渉」と「偏光」でした。これは最初から批判の的でした。波動説なら問題ないのですが、量子が干渉するには特別な仕組みが必要です。偏光を説明するには、さらに困難です。これらの重要な現象を説明するには、ボーアの観察だけでは不十分でした。アインシュタインは、光電効果について、光子が電子を叩き出す作用を論じ、光量子はエネルギーを持つ粒子であり、運動量もあると考えました。この理論は正しく、X線に関するコムプトン効果でも、光子が粒のように振る舞えば説明がつくことが分かりました。光は波か粒か――この論争に対し、フランスのド・ブロイは、粒子が動くときには波を伴っているのではないかと考えました。実験の結果、電子を高速で動かしたとき、理論が予測する波長が現れ、「電子にも波の性質がある」ことが証明されました。こうして「波動電子」という考え方が生まれました。この理論はオーストリアのシュレーディンガーによって発展し、「波動力学」として物理学に導入されました。この理論に従えば、ボーアの軌道説は不要となり、エネルギーの飛び飛びの変化という基本的な枠組みだけが残されることになりました。一方、ドイツのハイゼンベルクも数学的に難解な道をたどって同様の結果に達しましたが、扱いやすさから波動力学の方が主流となりました。こうした変遷を経て、読者は「では電子や陽子の正体はもう分かったのか?」と問うかもしれません。しかし、まだはっきりとは分かっていません。イギリスのディラックによる研究もありますが、まだ完全には明らかになっていません。そもそも、最初に解明されるべきなのに、いまだに分かっていないことがあります。それは、「負の電気(電子)」と「正の電気(陽子)」の違いは何なのか、ということです。負の電荷は電子に、正の電荷は水素原子に宿ります。そして陽子は電子の約1800倍もの質量を持っています。その理由を問われれば、「そう測定されるから」と答えるしかありません。この最も重要な問題が解決されないかぎり、電気について語る者も、物質について語る者も、暗闇の中を歩いているようなものです。この根本問題に触れないのは、重大な欠陥です。研究者は、この中心に向かって突き進まなければなりません。電気について語りながら、正と負の電気の本質を知らないのは、「論語を読む者が論語の意味を知らない」ようなものであり、ゲーテの『ファウスト』の悲劇を思い出させます。「その秘密が分かっていたなら、苦労して汗を流す必要もなかった。知らないことを、あたかも知っているかのように人に語ることも、しなかっただろう」このファウストの台詞のような感覚を、私は感じざるを得ないのです。ここに書いたことは、あくまでごく一部にすぎません。最近の物理学の進展を、あたかも汽車の窓から流れる景色を眺めるように見ているだけで、内容は曖昧な部分も多いと思いますが、どうかお許しください。